初夏の北八ヶ岳便り   2016年7月22日        サイトトップへもどる

 何度か訪ねた山小屋に行くのは楽しい。
八ヶ岳でも北八ヶ岳はアルペン的な南八ヶ岳と違って、北欧風で静かな山だ。
 里は夏でも、このあたりは、初夏もいいところで、花が咲き始めるころだ。
久しぶりに、北八(きたやつ)のしらびそ小屋に泊まり、クリンソウを見に行く。

記録によれば前回は2010年だから、ちょうど6年前だ。

今回のお誘いは前回同行した級友からで、共通のお気に入りだから、リピータとなる。

 

 梅雨の天気はままにならぬが、辛抱して出発が晴天となるまで待った。

リスケジュールもなんとかなったのだから、我ながら我慢が年寄りの成長である。

 

2016/07/04

中央線は夏の晴天のもとを甲府に向って走る。

小淵沢から小海線で小海に着き、乗り換えたバスは昼前に終着稲子温泉につく。

 

◇12:30稲子から歩行開始

 懐かしい小道を、北八ヶ岳のふところ、歩行2時間の、しらびそ小屋へむかう。

ウグイスとコマドリのコーラス、野猿がどこかで啼ている。

平担な道が終わるころ雨が降り出す。結局夕方まで本降りの中をゆっくり歩く。

雨中登山は久し振り。最初は「雨はやむ」とふんで、雨具をつけるのを見送ったが、
ヤッパリあがりそうにもなく、雨着に着替の時少し濡れた。
ウェストバックが雨さらしで、中味も濡れた。
小屋に着くと親切なおかみさんが迎えてくれて、濡れた着衣の乾かしの世話をしてくれる。

レインウェアはそれなり役だったがストーブで乾いた。

 

 山小屋はみどり池の岸辺にあり、ご夫婦ふたりだけでやっている。本当にアットホームだ。

ずっと昔からで、それも通年小屋だから、頭が下がる。

六年前の記憶は私の早とちりで、父と息子の嫁のチームではなく、ご夫婦と今日わかった。

柴犬で、かんばん娘兼番犬がいて、盲目だが、客は見分けるし、夜中にカモシカが来ると吠えたという。

小屋は旧いけれど実に清掃が行き届き、食事も不自由な材料を実に工夫して出してくれる。

御主人は81才、今日は鼓膜の再生手術で、不在で麓の自宅で静養とか。

 愛犬のはなしだが、客がうどんをたくさんやったりするから、四年前に17才でなくなったとのことだ。
その犬が産んだ娘の犬も、母を追うように死んだとか、気の毒な話である。

山の中での暮らしだから、他に生き物との交流もなく、親が死んだことは大変なショツクだったに違いない。
人間にとっても単なる、愛玩の対象ではなく、家族の一員だったと強く思う。

まるで、宮部みゆきの江戸時代の因縁話のようだ。

 

 今では、林道の駐車場に車を置いて、クローラで荷上をしている。
あの山道では何度もクローラは転倒したらしい。それでもやっぱりすごいことだと思う。

 

◇毀誉褒貶が激しい?ワタシの名はウソ

昔のままで、窓のところにリスと小鳥のえさ場がこしらえてあり、ひまわりのタネが置いてある。
雨の中でも小動物は懸命に餌をいただいている。
鳥はウソ(桜の花が咲くと食べてしまうことでワルモノ扱いの鳥だが、善良な鳥との説もある)だ。
窓ガラス越に、こんなに近くで観察するのは初めてだ。口にくわえているのはひまわりのタネ
である。

(ひまわりのタネは、量がハンパでなく、安い輸入品まで買うこともとあるのこと)

 

 

  

 ウソの君 桜花(はな)咲かぬとき 断食か

    わきめふらずに ヒマワリのたね

 

◇森の夜

談話室には炬燵(蓄熱式)と、一つのランプ(太陽光発電の蓄電らしい)と、山の本が備えてある。
今日は2パーティで計7名の客だ。19時になると皆寝床にいく。

 自分は一人で炬燵を占有。辺りが暗くなるとランプが明るくなったように感じる。

外は10°C前後。友人も先に寝にいく。

 2097mの深い山の中で、暖い空間に足を突っ込んで一人でじっとしている。

本当に静かな空間で、吸い込まれそうな感覚になる。

 

 不思議な空間にいつまでも一人きりでいたい。

 早く寝ないと明日は堪(こた)えるかなあ・・・

 しばらく考えると、「私の生命がここにあるのだ」、と当たり前のことに気がつく。 

 明日の天気には憂うことなかれ・・・ともうすこしコタツにいる。

 

外は真っ暗。風はやんだようだ。刻が流れる。

 

闇しずか ランプの小屋(やど)も 蓄電池

 ふしぎ空間 こころたゆとう

 

2016/7/5 中山峠→ニュウ→白駒池→剣が峰→八千穂高原へ

 

◇クリンソウに逢いに行く

 朝、気にしていた空を見る。どうやら梅雨の晴間だ。

昨日は雨で見ることのできなかったクリンソウを見に行く。

小さな流れの脇に今年も咲いていた。どうやら咲き始めたばかりだ。
車輪のスポークのように、8個くらいの花のふさが一本の軸から放射状に咲く。
これだけでも面白い咲き方だが、これで一輪だ。
五重塔のてっぺんにある九輪のように、傘を重ねるみたいに、九層も咲けばそれがフォーマルである。
今までもかなり探したが、かなり咲いていても三~五輪くらいで、九輪という規格?からでは、ほとんどは半完成品だ。

 

「九輪草  四五輪草で  仕舞けり」          小林一茶

 一茶さんの句は、ちょうどあの方の性格のようで、実に正しいコメントだ。

その日は八千穂高原のスキー場のなかでもクリンソウを見ることになったが、こちらは盛りを過ぎだった。
やはり完成品になる見込みはない。

クリンソウが本当に九輪の姿で咲いているのを、見ることのできたヒトは幸せではないか。

 

 

 

   クリンソウ 九輪で逢うは いつの日か

    姿もとめて しらびその森

 

◇剣が峰

中山峠に上がるとやっと北八ヶ岳の尾根道あるきだ。今回は遠くから目立つニュウをへて

白駒池に岩だらけの道を下った。このあたりの苔は本当に美しい。北八ヶ岳のカンバンだ。

 ここから「信濃路自然歩道」経由で八千穂高原にくだる。歩道と言っても登山道だ。

諏訪門のあたりからみるとゆるやかなコブなのに、「剣が峰」という山名を怪訝に思った。
わざとコースアウトして剣が峰に立ってみた。なるほどここから下る八千穂の方から見れば急登の剣が峰で、
スキーコースが取れない位の急斜面の頂上だ。

 

 シャクナゲの咲く狭い尾根にたつと、夏の雲が流れるのが見える。
あの向こうは千曲川のゆるやかな谷を隔てて、浅間山の方面のはずだが、それは雲の中。

 春にたづねた佐久平や、望月の宿はすぐそこだとおもうと、なにかご先祖さまに呼ばれたような気がする。
いただいた生命を大事にしたいと思いたくなる。

 

 

 

 

   雲ながれ 千曲の谷は はるかなり

     吾をはぐくむ  天地(あめつち)おがむ

 

 転ばないように、急坂の白樺の純林の中をゆっくりと下る。しばらくして八千穂のスキー場につく。
搬器(チェア)の外されたリフトは、おおくのスキー場で見る夏の光景だが、何か夏の季語を見るようだ。

 

 すぐに、もし「芭蕉さんが現代のヒトだったら」という一句が、スラスラとできる(⌒▽⌒)

   夏草や スキーヤどもが 夢のあと

 

 目指す今宵の宿(ペンション)は一番奥だ。

風呂で汗を流し、部屋に戻るかもどらないかのうちに、あっと驚くドシャ降りだ。

昨日はしらびそ小屋への道中で雨だったし、今日も八千穂で立派な夕立にあった。
いま歩いていたら100%ピンチだった。まだ梅雨は終了していないことを実感する。

 

 

2016/7/6 八千穂から八柱山→雨池→ピラタスへ

 

◇八柱山

 今日は小旅の最後の日。今日のメインは八柱(やはしら)山だ。
このコースは八ヶ岳の縦走路から少し離れているせいか、歩く機会が無かった。
最後の下りはロープウェイが使えるから楽勝だと思った。
しかし歩いてみて、ここに来る人が何故少ないのが分かった。
アプローチが長くて、登りはじめと、ラストの部分が何とも言えぬ厳しいコースだった。

 歩き出しの林道は少し溜まった疲労を振り払うように、意識的に速めに歩いているうちになんとか調子が出てきた。
林道から廃道になったカラマツ尾根の旧登山道まで猛烈なヤプこぎをした。

このコースを自信をもって歩けたのはガーミンと宿の主人の情報があったからだ。

 10年前の地図にあった登山道は廃道になっている。
多分林道は拡幅され、廃道と最接近したところで、旧道にワープする道が、力(ちから)づくでつけられたのだろう。

旧道に出ると、天然カラマツの純林だ。このあたりはサルオガセのついた天然カラマツが見事だ。

 八柱山を選んだのは、たまたま諏訪の御柱の神事の由来をTVでみたからだ。
茅野~諏訪には縄文時代からの歴史があり、「環状列柱」の遺跡も見た。
ひょっとしてこの山名の八柱は神世の遺構かも知れない。そんなロマンチック探しの気分があった。
しかし頂上にはバノラマアンテナ(もっとも深宇宙調査用だから宇宙人との交信でまあ良いか…)があった。
神代のイメージをぶち壊すだけは免れた。しかし良い山だ。

 

 

 

   御柱(おんばしら) 縄文人(ジョーモニアン)の 遺構かな

         八柱(やはしら)山に カラマツの聲

 

 八柱山をすぎると緩やかな下りで、雨池までの道はすばらしい。
泊めてもらったペンションの主人はこの道の整備をボランティアされているそうだ。
雨池の縁にはシャクナゲの花が美しかった。大変なのは雨池峠までの、雨なら必ず川になる、噴石のガレを登りきる道だった。
雨の中だったら立ち往生だ。このラストコースで限界まで老人力を出し切った。良い終り方だった。


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